
160年にわたるパートナーシップとグローバルな結びつき
HSBCは、1866年に日本で最初の支店を横浜に開設して以来、今日に至るまで日本のお客様を支援してまいりました。160年にわたり日本国内で事業を展開し、日本企業の国内外における事業の支援を続けています。

横浜支店の開設
1800年代半ばより日本の対外貿易取引が急速に拡大する中、HSBCの創設者であるトーマス・サザーランドは、1864年に香港と横浜・長崎を結ぶP&O汽船会社の蒸気船航路の開設に尽力しました。地域および国際貿易ネットワークの拡大は、HSBCを含むこの地域の企業に新たな機会を生み出しました。
1866年に横浜に最初の支店を開設したHSBCは、日本で営業を開始した最初の外資系銀行の一社でした。HSBCおよびその他の進出企業は、日本の貿易が世界のより広範な地域に広がり、急速に成長する中で、特に貴重で高価だった絹の貿易をはじめ、貿易の資金調達を支える上で極めて重要な役割を果たしました。HSBCは、絹貿易の欧州の中心地であったリヨンを含むグローバルな支店ネットワークを通じて、この事業を支援する上で特に適した立場にありました。

日本全国への拡大と貿易
横浜支店に続いて、神戸支店(1869年)、大阪支店(1872年)、長崎支店(1896年)が次々と開設されました。当時、長崎支店があったビルは長崎港を臨み、現在も誇らしくたたずんでいます。戦争や地震、台風を乗り越えたこのビルは、当グループの記録文書によると、HSBCの自社用に建てられた支店ビルとして、現存する世界最古の建築物です。

貿易金融に加えて、HSBCは大阪造幣局の大規模な金銀通貨造幣業務の遂行に協力し、また日本企業への融資も行いました。
HSBCは近代的な銀行モデルを提示し、日本初の国際業務を行う銀行であった横浜正金銀行は、定款を策定する上でHSBCの定款を模範にしたと言われています。また、HSBCは日本政府に対して通貨改革に関する助言も行いました。
19世紀後半、日本で最も一般的に使用されていた通貨はメキシコ銀貨でした。しかし1879年、日本政府当局は、信頼できる代替通貨として日本円の銀貨を導入することを決定しました。HSBCはこの動きを後押しし、横浜支店長が、円銀貨をメキシコ銀貨と等価で交換することを受け入れると発表しました。
香港では、当行のチーフマネージャーであったトーマス・ジャクソンも日本円の流通と普及に尽力し、この新しい通貨への信頼確立に貢献しました。このような一貫した支援は、日本当局によって極めて重要だと評価され、1912年、横浜支店長が日本の通貨発展への貢献を讃えられ、天皇陛下より旭日章を授与される栄誉を賜りました。
1897年から1930年にかけて、HSBCは日本政府および都市に対し、総額約5,000万英ポンドに相当する融資も行いました。これらの融資は、日本が近代的な工業大国へと変貌を遂げる過程において、鉄道建設、水道整備、港湾建設などの資金として活用されました。
1905年に発行された日本の外債は特に人気を博し、投資家がロンドンのオフィスに殺到したため、HSBCのラグビーチームが秩序を維持するため出動せざるを得なくなるほどでした。
関東大震災
しかしながら、HSBCの日本における成功も災害を免れることはできませんでした。1923年9月1日、横浜を大地震が襲い、市内全域に甚大な被害が生じました。
HSBCのビルはほぼ全壊し、2名の社員が命を落としました。最初の激しい揺れに続き、数日間にわたって燃え続ける壊滅的な火災が発生しました。
生き残った社員は瓦礫の中から物を可能な限り回収し、その後神戸に仮支店が開設されました。そこでは「復旧担当部署」が横浜支店の貸借対照表の復元に尽力しましたが、同支店が横浜で再開するのは数年後のこととなりました。
戦後の復興
震災被害からの横浜支店再建後、HSBCは第二次世界大戦終結後にさらに大規模な復興の課題に直面しました。1946年、HSBCは戦後の日本に代表者を派遣した最初の外資系銀行となりました。
二十世紀、そしてそれ以降の発展
1959年、HSBCはマーカンタイル銀行を買収し、同銀行の日本支店はHSBCのネットワークに統合されました。マーカンタイル銀行は、1863年という早い時期から日本に進出し、東京と大阪に支店を構えていました。1960年代初頭から両行の支店網を統合しましたが、マーカンタイル銀行の名古屋支店は業績が好調であったため、1983年まで同社の名称で営業を続けました。
1998年、HSBCは東京の日本橋に新たなメインオフィスを開設し、日本へ注力する決意をさらに強めました。これにより、HSBCの全事業が一つの建物に集約されました。この革新的なビルは、その年の日経ニューオフィス賞を受賞しています。
1985年に設立した日本法人の投資サービス会社は、1998年に日本法人の資産運用会社へと進化しました。その後、新興国ファンドのリーディングプロバイダーへと急速に発展し、日本の個人投資家に中国、ブラジル、そしてインド ファンドを提供する初のアセットマネージャーの一社となりました。
中国における比類のない強さと知見は、私たちの歴史的なルーツであり根幹を成すものです。2020年には、日本に拠点を置く投資家に中国のオンショアCNY FX市場へのアクセスを提供する初の金融機関となりました。2021年には、日中両国間のETFコネクティビティスキームの下で、2つの新しいクロスボーダーETF(上場投資信託)の上場を成功させました。
スポーツへの取り組みや健康とウェルビーイングの追求、そしてよりインクルーシブな社会の実現に向けたコミットメントの一環として、2018年より世界バドミントン連盟とのパートナーシップを通じて世界レベルのバドミントンを日本に紹介することを支援してきました。また、2020年には日本ローイング協会とパートナーシップを締結しました。
2022年にはHSBC証券株式会社を設立し、証券事業を日本法人化しました。これは、日本市場への長期的なコミットメントを示すものであり、金利、クレジット、デリバティブの投資機会を提供し、ヘッジや資金調達のニーズをサポートすることで、クライアントにサービスを提供するためのより強力なプラットフォームを提供します。
2025年には、ユーロマネー誌のトレード・ファイナンス調査投票でプロダクツ、テクノロジー、クライアント・サービスのマーケット・リーダーに加え、日本におけるベスト・トレード・ファイナンス・プロバイダーに選出されました。また、同誌のキャッシュ・マネジメント調査投票では日本におけるベスト・キャッシュ・マネジメント・プロバイダー、またテクノロジーのカテゴリーでもベスト・キャッシュ・マネジメント・プロバイダーに選出されています。
1866年に築いたルーツを礎として、今日もHSBCは、アセットマネジメント、コーポレート・バンキング、トレード・ファイナンス、キャッシュ・マネジメントとトレジャリー、資本市場、セキュリティーズ・サービシーズ、カストディ・サービスなどの分野において、お客様に革新的な製品とサービスを提供し続けています。